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【やや閲覧注意】ゲームが私を救ってくれたかもしれない話「ペルソナ5」

ずっと遊んできた大好きなシリーズ最新作。 でも、私ずんだにとっては本当に特別な1本なんです。
これでもボカして書いていますが、人によっては不快に感じる内容かもしれません。
身内の死・鬱病・自閉症・自殺未遂などのワードが苦手な方は閲覧注意です。

この内容に関しては、記事にするかずっと迷っていました。
理由は暗く重い話だから、です。

ただ、私がペルソナ5というゲームに辛い時期を支えてもらい、また、ともすれば命の恩人と言っても過言ではないということ、そして、ゲームは時にそういう存在になり得るという事を伝えるため、記事にすることに決めました。

ちなみに、ペルソナ5のゲーム紹介記事はコチラ↓

育児に追われゲームの事が抜け落ちていた私

我が道をゆく私でも、子供の事しか見えなくなる…それが「育児」

当時、息子は2歳で私は育児のために専業主婦をしていました。
夫が協力的とはいえ、初めての育児。
てんやわんやで、もはや大半の記憶を失っています。

しかも、今はきちんとした診断が下り発達障害の一種「自閉スペクトラム症」であることが判明していますが、その頃は「そうかもしれない」という不安や葛藤と向き合う日々でした。

とにかく無我夢中で、出産の為に入院する間際までやっていた(確か大航海時代をやっていた)大好きな趣味であるゲームのことも頭の中からすっかり抜け落ちていました。

そんな時、夫が発売日直後に買ってきてくれたのが、このペルソナ5です。

多くの作品を遊んできた大好きなシリーズ最新作だったので、その時の驚きと嬉しさはいまだに覚えています。
なにしろ育児以外の事に頭が回らず、発売したことすら知らなかったので。。。

やろうと思えば、できる…?

夫は初めから私にプレイさせてあげる気で購入したようでしたので、有難く遊ばせてもらうことにしました。

夢中で気付きませんでしたが、息子はたまに夜泣きや急に起きてしまうことはあっても、基本的には夜8時~9時には寝るようになっていました。
その後に用事を済ませて大人が寝るまでのわずかな時間、ゲームをしようと思えばできたんです。

でも、寝かし付けが終わった頃には疲れ切っていたり、日中にコミュニケーションを取れない生物の世話に追われて飢えていた「会話」を求めて夫婦で会話したり…という毎日だったように思います。

久々のゲームはとにかくワクワクして、心が躍りだしそうな、そんな気分だったように思います。

PS4のコントローラーを握ったのは、気まぐれにダークソウル3をやった時以来だったと思われます

夜に私がペルソナ5をプレイして夫が横で眺めるその時間は、特別なものとなりました。

母の病気

2016年の秋、それは判明しました。
母はレベル4の白血病でした。

実はその数年前にも別の癌でレベル4と診断されており、本人も周りも「死」を覚悟の上での闘病の末、母は奇跡的に寛解しました。
我々が結婚したのも、実はこのタイミングです。

そして、2度目。
白血病の末期。
その時どんな気持ちだったのか、もう私に思い出すことはできません。

とにかく、ショックを受けたことは間違いないです

そして、そこから我々の日常は変わりました。
私の実家は遥か遠方のため、月に1度は1週間ほど夫と義実家に息子を託し、実家に滞在するという生活。

姫路から仙台まで、新幹線を乗り継いで行き来していました

白血病は病気に抵抗する白血球が変異してしまう癌のため、無菌室に入院し、外に出ることはできないのです。

実家は実家でなくなった

久々に帰った「母のいない実家」は、なんだかもう私の知る実家ではなくなってしまっていました。

私は色々あり父に苦手意識を持っており、そこはもうくつろげる空間ではなかったのです。

父は完全に仕事人間だった人なので、家の事がほとんどできません。
けれど、私も兄も実家から離れて暮らしており、病室から出られない母の元に定期的に通うのは彼にしかできないことでしたし、父は頑張っていたと思います。

ただ…
母に頼まれたものを買ってくること。
家のカーペットを冬物に敷き替えること。
それが、父にはできませんでした。

ですから私は、滞在中は母の欲しいものを買いに走り、家の中を綺麗にして、家事をこなし、毎日母の元に通いました。
地元の友人にも会おうと思えば会えたかもしれませんが、私は知らせることすらしませんでした。

「子供を預かってもらって私は地元にいさせてもらっている」という気持ちが、そうさせていたのかも知れませんし、そもそもそういった発想すら出てこなかったのかも知れません。

帰ってきた時には、少しずつゲームをやっていた

家にいる間に私が母のためにできることといえば、子供の動画や写真を撮って送るくらいでした。
母は「元気に育っているね、かわいいね」と言ってくれます。

でも、私は息子の成長に不安を抱え、誰にも共感してもらうことができず、それを病床の母に伝えることはとてもできませんでした。

もしも母が健康だったなら、間違いなく相談して心の拠り所としていたでしょうが、絶望の中で生きる母にとって「孫」という存在の大きさがいかに大切なものかを理解していましたので、「毎日すくすく成長してるよ、なんとか母親やってるよ」と言うのが私の精一杯の強がりでした。

夫とまったりしながら夜にペルソナ5をプレイする時間は、私の唯一の癒しの時間となっていました。
その時間だけは、私は「私」ではなく「ジョーカー」でいられたのです。

夫は、ただ寄り添っていてくれた

家を空けることが多く細切れになりつつも、少しずつゲームを進めていました。

母の死

そんな生活が続いた半年後、母は亡くなりました。
医者からもう助からないであろうことは伝えられていました。
どんどん身体も心も弱っていく母を見てきた身として、悲しみよりも「やっと、楽になれたね」という気持ちが大きかったように思います。

その後の葬儀等はとにかく「私がしっかりしないと」と悲しむ間もなく張り詰めていました。
父はもちろん、兄もあまり頼りになりませんでした。
大好きな母のお世話になった方々に失礼なことだけはしたくなかった私は、とにかく必死でした。

また、母のものを早々に捨てようとする父の手から遺品を守るのも大変でしたが、あのとき頑張って良かったと心から思います。

それ以来、私は実家に足を踏み入れることができなくなりました。

崩れ落ちた何か


戻った頃、ちょうど息子が保育園に入園するまで1週間ほどと迫っていました。(入園に関しても様々な悩みや迷いがありましたが、ここでは割愛します)
とにかくお店をハシゴして何とかグッズを揃え、名前を無心でつけまくり、何とか準備が終わりました。

やっと、一息つける。

そんなある日、私は朝ベッドから起き上がることができなくなっていました。
身体を動かそうとしても動かず、涙が溢れて何もできなかったのです。

息子を一日看るのは不可能だと思いました。
「お願いだから連れて行って」
私は夫にそう告げて布団に潜りました。

おそらく、息子は義実家に預けられたのだと思います。
私にはもうその辺りを気遣う余裕すらありませんでした。

私は数年ぶりに家で1人きりになりました。

そして、突然母を失った悲しみと虚しさと、今まで張り詰めていた糸がプツリと切れて疲れが一気に押し寄せてきました。

何もしたくない。

そういえば、いつからかぐっすり眠ることが出来なくなっていました。
眠りが浅く、夜中に目が覚め、眠れば悪夢を見て、朝には全身に力が入って身体が痛くなるようになっていました。

「自分は今、異常事態なんだ」と気付いた

そんなこんなで何とか入園準備を済ませ、息子は平日は保育園に通うようになりました。

送り迎えをし、家事を何とかこなす。
そんな生活だけでも、私は「外に出ること」に苦痛を感じるようになっていました。

下らない井戸端会議をしている老婆たちに腹が立ち(どうして母は亡くなってしまったのにあなた達は…?)

楽しげな孫・娘・親の3世代を見かけては哀しくなり(私にはもう二度とそんな時間は訪れない)

そんな自分自身に嫌気がさしました。
30過ぎたいい大人が、毎日まいにち、母に会いたくて泣いていました。

しかし、私は2ヶ月以内に仕事の内定をもらわなくてはいけませんでした(求職中で入園した場合、そうしないと退園させられてしまいます)。

ハローワークに行かなくちゃ。
履歴書を書かなくちゃ。
家のこと、もっときちんとやらなくちゃ。
夫にこれ以上、迷惑かけないようにしなくちゃ。

ある日のこと、突然すべてのことがどうでも良くなり「もう解放されたい」と願うようになりました。

そして、気付けば一日中「自〇する方法」を調べている自分がいました。

どうすれば苦しまずに母の元に行けるんだろう。
でも、息子は?
連れて行った方がいいの?
それは親の身勝手じゃないの?
でも残していったら夫が苦労するよね?
連れて行ったら夫は生きていられる?

そこまで考えて、私はハッと気が付きました。
自分はおかしい。ふつうの状態じゃないと。

そう気付けたのは家族のおかげでした。
もし一人なら、私は戻って来られなかったかもしれません。

転機


それから、職を探すよりも先に、まずは心療内科に行きました。
初診から多くの薬を出される訳ではありません。
実際に心と身体の状態が急に良くなることなど、ありません。
ただ、自分の状態を客観的に見つめられた事が私にとって大きな転機となりました。

通院を始めてからしばらくは、まるでそれが精神安定剤であるかのようにペルソナ5をプレイしていました。(夫がいない時はストーリーが進まないところのみ)

そして、ちょうどそれから何日か後に、プレイ時間130時間ほどでエンディングを迎えます。

エンディング近くであるキャラクターが主人公たちに対してなのか、プレイヤーに対してなのか、

世界は君達の見方によって、全く違ったものに見える
君達次第で、どんな世界にだってなる

といったセリフを言うのですが、そのセリフが心に沁みて涙が止まらなったのを覚えています。

人間誰しも認知は違うし大小の歪みはある。
本編では歪んだ欲望を持つ大人を改心させていったわけですが、まるで目からウロコが落ちるかのように気付いたのです。
自分も周囲への認知が歪んでしまっているということに。

就職活動

そして、私はペルソナ5の2週目を始めました。
夫は驚いていましたが、これには2つ理由があります。

・普通じゃない状況、精神状態でプレイしていたため、もう一度じっくり楽しみたかった
・もはや精神安定剤と化していたので「やめる」という選択肢がなかった

2週目はまったく苦にはならず、毎日ペルソナ5を続けることがある意味生きがいになっていました。

そして、やっと就職活動もできるくらいの精神状態になりました。

履歴書用に撮影した写真は酷い顔色をしていました。
それでも、少しずつできる範囲で就職活動を進めました。

幸いな事になんとか就職先が決まり、私と家族の新しい生活が始まりました。

そしてしばらくして、私は最強ペルソナを生み出せたことに満足し、2週目を終えました。
総プレイ時間は200時間に届いていました。

そして、例のキャラクターからの「世界は君達の見方によって、全く違ったものに見える」というセリフをもう一度聞いた時、私はまた涙を流していました。
でも、この涙は前回とは違う思いでした。

前回は「私は歪んでいる」と気付かされた悲しみの涙。
今回は「世界がきれいに見えるように、私は頑張るよ」という感謝と決意の涙。

まったく同じ展開・セリフなのに、不思議なものですね。

思えば、ゲームはいつも私を救ってくれていた

今回に関しては、家族とペルソナ5に命と心を救われたも同然だと感じています。

でも、思い返してみると、子供の頃から私はゲームに心を救われてきたんです。

親の夫婦喧嘩を尻目に兄とそそくさと部屋でゲームをしたり。
転校が多くなかなか友達ができない時もゲームを友達のように感じたり。
ゲームを通して気の合う友人ができたり。
心細かった単身での上京もゲームを通じて色々な人と仲良くなったり。

まさか、命まで救われることになるとは思っていませんでしたけどね。

ペルソナ5でなければならなかったのか?


結果論ですから、これに関して答えはでません。

ただ、私個人は「ペルソナ5だったからこそ目を覚ますことができた」のだと感じています。

大好きなシリーズの作品だったこと。
まるで、違う自分となって日常生活を送っている気分になれたこと。
主人公たちは皆理不尽な目に逢い、それでもなんとか前向きに頑張っていること。
そして「認知の歪み」というキーワード。

この作品が発売されたタイミング。
私のために買ってきてくれた夫。

それがなかったら、自分は今どうなっていたのか…?

あまり想像はしたくないですね。

また、もし私が普通(あえてこういう書き方をします)の状態でプレイしていたら、これ程ペルソナ5は特別で大好きな作品になっていたのか?
これも分かりませんし、考える意味はあまりないと思っています。

なぜなら、私が子供の頃から出会ってきたたくさんの大好きなゲーム達は「その時、その環境で」プレイしたからこそ大好きになったのだと思っていますし、私は「純粋にゲームとしての出来を評価する」ことには価値を見出していないからです。

ペルソナ5を卒業してからの私


そんな出来事があってから、この記事を書いている2019年時点で2年という歳月が経ちました。

そして思う事は、

あの出来事のおかげで私にとってゲームはより特別で価値のある、大好きなものとなった

ということです。

育児・仕事・家事をこなしながらゲームの時間を確保するのは本当に大変なことです。

それでもやり続けたいーーーーー

今はそう強く思っていますし、この2年でも素晴らしいゲームとの出会いは沢山ありました。

これからも夫婦で無理のない程度にゲームを続けていきたいですし、このブログを通して皆さんとゲームとの素晴らしい出会いの一助になれば…などとおこがましい想いも持っています。

救いを求めてゲームをするのではない。
楽しいと思うゲームを遊んでいたら、いつの間にか救われていたのだ。

ペルソナ5のゲーム紹介記事はコチラ↓

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